13. 誰かのために生きる

「自分の心が喜ぶ生き方」。


これが私の永遠のテーマです。



人気アニメ「アンパンマン」の歌にこんな歌詞があります。

「何のために生まれて何をして生きるのか 答えられないなんてそんなのはいやだ」と。


そしてたとえ胸の傷が痛んでも、愛と勇気をもって今を生きよう、生きることは喜びであるという、作者、やなせたかさんの子供たちに伝えたい思いが込められています。


心に痛みをもたずに生きる人は一人もいません。

痛みをもっているからこそ幸せを感じ、相手を思いやることができるのです。

「誰かの心を喜ばすこと」
「目の前の人を笑顔にすること」。


それが自分の心も一緒に喜ぶ生き方だと思います。


人は「自分のため」より「誰かを喜ばすため」のほうがずっとパワーが出るからです。


ぺんぎん村水泳教室を、現在10人以上のスタッフが、心優しく、力強く支えてくれています。


スタッフの熱い思いが子供たちに降り注がれ、笑顔があふれています。


これからも生きる喜びがあふれ続けていくでしょう。


最後に、読者の皆様が愛と勇気と友達になり、笑顔にたくさん出会えますことを心からお祈りして筆をおきます。(2013年執筆)

12. 7年後を目指して

苦難に耐え、競技に打ち込んできた気仙沼出身の義足の陸上ランナー、

佐藤真海さんが、2020年オリンピック、パラリンピックの招致プレゼンターとして、
涙を堪えながら語りかけた

「スポーツには希望をもたらす力があります」

という言葉は、多くの人の胸に熱く届いたことと思います。


心から「勇気をありがとう」と伝えたいです。

私は2004年のアテネ・パラリンピックから3大会連続で現地を訪れました。

水泳会場だけではなく、陸上、車椅子テニス、シッティングバレーボール、車椅子バスケットボールなどを応援してきました。

水泳、陸上は入場チケットを確保するのが困難なほどの人気で、会場は日本国内では感じたことのない熱い声援で満たされていました。



そして会場の外では、言葉の壁を越えて、サインや握手、記念撮影などを求められている選手がいて、まさにスーパーアスリートの姿でした。



国枝慎吾選手が優勝した、ロンドンの車椅子テニスの会場では、

「クニエダ、スーパーヒューマン」

と私まで握手を求められることも。



テニスの本場でも認められる彼の活躍を、日本人として誇りに思いました。


東日本大震災の被災地復興は道半ばです。
東京五輪開催決定を手放しで喜べない自分もいます。

でも、7年後を目指し、一人でも多くの子供たちが勇気ある一歩を踏み出してくれたら、一筋の光を見つけてくれたら…。


指導者として、そのきっかけづくりの仕事が始まります。



11. がんばりを認め合う社会に

「この子を抱いて死のうと思ったことがあります」。


目に涙を浮かべながらも、なぜか懐かしむように絞り出された言葉。


ある障害者水泳大会で、メダルを手に誇らしげに手を振る我が子を見ながら、母親が呟いた一言です。



生まれてくる日を楽しみに待ち望んだ母親が、我が子に障害があると知った途端に絶望を感じてしまうー。

私はこの21年間に何人もの母親から同じような心の叫びと言える言葉を聞いてきました。



「障害のある子を授からなかったら、この世に障害のある子がいることにさえ無関心だったかもしれない」

と語る母親の声や、


「自分が障害のある身体になって初めて、いかに世の中が健常者視線の社会であるかを思い知らされています」

という声もありました。


でも、みんな、
「涙も流したけれど、人生で本当に大切なことは何なのか。人の優しさ、自分の中の優しさ、強さに気づかせてもらっています」
と話してくれます。


この声は、本人が勇気を出して踏み出したからこそ得られた言葉です。


なぜ悲しいの?
それは認めてもらえないから。

なぜ嬉しいの?
認めてもらえたから。


みんな一緒です。
男だろうが女だろうが、障害があろうがなかろうが、高齢だろうが幼かろうが。

頑張ったことを認めあえる社会なら、幸せがいっぱい飛び交って、涙も早く乾きます。

10. 得意分野 生かす道を

皆さんは自分が生まれた日が何曜日かをご存じですか?


生年月日を口にした途端、「◯曜日生まれですね」と言われたら、曜日を当てる法則でもあるのかと思いますよね。



ところが、知的障害を伴う自閉症のA君の頭の中には、どうやらカレンダーそのものが入っている様子で、いつでもそのページを頭の中で開けるようなのです。



そして、一度聞いた誕生日やスケジュールは頭の中のカレンダーにしっかりと刻まれ、ほとんど忘れることがない様子なのです(もしかしたらA君独自の方策を生み出しているのかもしれません)。




同じくB君は、幼い頃からハサミと折り紙を持たせると、お手本もなく、実物を見ているわけでもないのに、あっという間に頭の中に描いたものを切り絵で表現できました。


今では立体的な表現もレベルアップしています。


私は、こういった特殊な能力やこだわりをもつお子さんと出会うたびに、これらを生かした職に就けないものかと願ってきました。


しかし、社会は障害者に対して、自分たちができることを基準にして「それができるか」「どれくらいできるか」と判断します。


だから私たちが真似できない能力があっても「できない子」とレッテルを付けてしまいます。


私たちが自分の得意分野を社会に貢献したいと望むように、彼らも同じだと思います。

その道をつくりたいと現在模索中です。

9. あきらめない指導

「もう一度立ちたい」「もう一度歩きたい」ー。


事故などにより脊椎を損傷し、下半身不随となった方々の切実な望みです。




介護する側の負担も、立つことができたら随分違うでしょう。

脳や脊椎といった中枢神経は、ひとたび損傷を受けると、再生しないと考えられてきました。

しかし、近年の論文によると、脊椎には柔軟性があり、ある程度の学習、あるいは適応能力があり、中枢神経も修復・再生する可能性があると言われています。



脊髄神経回路には、繰り返しの刺激に対して一種の学習能力があり、長期にわたる特定運動が、脊髄反射を特異的に変調させることも報告されています。

私には、医学的に難しいことはよく分かりません。

でも、動くことはないと言われた身体がトレーニングを続けるうちに動くようになっていく姿を私自身が見てきました。




感覚がなくても、筋肉に刺激を与え続ければ筋肉は太くなります。

関節も柔軟性を保ちます。

近い将来、IPS細胞など医療の進歩によって、損傷した脊髄を再生できるようになるかもしれません。

その時、歩くための筋肉がなければ、せっかくの医療の進歩を生かすことはできません。



少しでも可能性があるのならば、それをあきらめない指導をしよう。

その先に笑顔が待っているのならば、その笑顔に出会うため、できることを探し続けよう。

一歩一歩できることから。

いつも、自分にそう語りかけています。



8. イルカと泳ぐ

「イルカと泳いでみたい」。


そんな思いを抱いたことはありませんか?

私にとってそれは、幼いころからの憧れでした。



障害のある子供たちと日々触れ合うようになり、いつしかこの子たちと一緒に夢を叶えたいと思うようになりました。


ある日、海に作ったいけすの中でイルカと泳げる記事を見つけ、「これだ!」とすぐに訪ねることにしました。


場所は和歌山県東牟婁郡の森浦湾。

施設長は、私の思いを真剣に聞いてくださり、「イルカが障害のある子供たちにどのような反応をするのか僕もみてみたい」と固い握手をいただきました。



1泊2日、子供たちをお預かりしての初体験。

そっとイルカに触れることから始め、背びれにつかまって海面をスイム。

その後は、いけすの中で自由に泳がせてもらいました。

それまではスタッフの指示で動いていたイルカも自由時間。するとイルカがそばに来て、くるりとおなかを見せてじっとしているのです。

まるでおなかに乗ってごらんと言うように。

そして私たちが帰る時になると、6頭のイルカが別れを惜しむかのようにジャンプし始めたのです。


施設長は、「イルカが自らこのような行動をすることは非常に珍しい。ぜひまた来てください」と話してくださり、その後18年間、毎年いろんな生徒と出掛けています。


イルカと生徒が通じ合っている光量を毎回見ては、両者の間に「何かある!」と感じる私です。



7. 羊水検査に思う

今では羊水検査により、おなかの中で障害の有無が分かる場合があります。



特にダウン症は高い確率で分かります。



羊水検査に反対するつもりはありません。


それは、事前に我が子を迎える心の準備として必要と思えばこそです。


ですが最近、障害があると分かった方の約80%が墜胎すると放送されていました。

涙が出ました。


堕胎する親はどんな気持ちなのか。


生まれてくる命に何の罪があるのか。


ダウン症児は確かに発達に遅れがあります。


でも、ゆっくりだけれど必ず成長してくれます。


にこやかで素直で、真面目で、いつも私を癒してくれます。


障害のある子供を育てていく過程で、今の社会では不都合を感じることがたくさんあるでしょう。

でも、それ以上の幸せを感じることがたくさんあり、不幸を感じることではないと伝えていきたいです。


健常児として生まれてきても、事故や病気で障害のある子供になることもあります。

障害があっても、なくても、子供を一人前に育てることには苦労があるものです。


子供をもつということは、親としてその責任を生きがいと感じ、苦労を苦労と感じず、一つ一つのドラマを一緒に泣き笑いしながら見守り、支え続けることなのではないでしょうか。



森進一さんの「おふくろさん」に母親のありがたさを感じ、涙したのは私だけではないはずです。

6. 仲間がいたから

「息子がマネキンのようになってしまったのです。」



わらにもすがる思い…。


そんな母親の言葉でした。


息子さんは、当時高校2年生の青春真っ只中。

恋にスポーツに、将来の自分の姿に夢を抱いていたことでしょう。

水泳部に所属し、インターハイを控えた夏、事故で脊椎を痛めました。



突然、今までのように歩いたり走ったりできなくなってしまったのです。



おへそから下の感覚がなくなり、自分の意思で排尿も排便もできなくなりました。


入院、リハビリを経て自宅に戻っても、我が子は天上を見つめ無表情になってしまったのです。


母の心の痛みがひしひしと伝わってきました。


青白い顔をして車椅子に乗り、うなだれて私のもとにやってきた息子さんは、のちにジャパンパラリンピックなど数々の大会で日本記録を塗り替えました。


車の免許をとり、大学も卒業し、社会人として活躍しています。


何が彼を変えたのか。


一緒に頑張る仲間がいたからだと思います。



初対面の日、私は彼に四肢欠損の少年の練習を見せ、「君ならあの子に勝てるよね?」と挑発しました。



上半身に障害がなく、負けるはずのない身長180僂糧爐、負けました。


悔しかったと思います。



残酷なことをすると思われるかもしれません。


でも、今の自分を受け入れなければ、次へ進めないのです。

下を向く彼に追い打ちの一言が仲間から飛びます。


「そんな立派な上半身があるのに」と。


その時彼は顔を上げたのです。

5. ライバルは宝物

私は選手を育てる時、選手それぞれの練習プログラムは作りますが、障害ごとに選手を分けて泳がせることはしません。



そしてこの練習方法が、結果的に日本のトップ選手を育てることになったと感じています。


例えば、スピードを変えて泳ぐ練習では、自閉症のある選手を身体に障害のある選手の後ろにつかせ、「遅れないように、抜かないように」と指示します。


自閉症のある選手は、スピードの変化に対応するのが苦手だからです。


この練習では、自閉症のある選手にとって、身体に障害のある選手はペースメーカーの役割を果たしてくれる大切な存在です。


この逆の関係もあります。

50メートルを10本全力で泳ぐことを課題とした場合。

身体に障害のある選手は、どこかでつい手を抜きたくなるのですが、自閉症のある選手は「全力」の指示が出れば、どこまでも全力なのです。


だから、身体に障害のある選手が手を抜けば一目瞭然。自閉症のある選手から「どうしたの?」と声がかかり、身体に障害のある選手は「そこまでやるか?」と苦笑いを浮かべながらも全力で泳がざるをえません(この光景が実に微笑ましいのです)。


身体に障害のある選手にとって、真っ赤な顔をして苦しそうにしながらも、全力で泳ぎきる自閉症のある選手は、尊敬する仲間であり、最強のライバルなのです。素晴らしい宝物ですね。

4. 少女が認められた瞬間

「わー、すごいなあ!歩けないのに泳げるんだ」


驚きと歓声、そして拍手が湧き上がりました。


ある小学一年生のクラスで、初めて行われた水泳の授業での出来事です。



少女には生まれながら二分脊椎という障害がありますが、聡明で頑張り屋さんです。

入学して4ヶ月。クラスの友達は、自分と同じように歩いたり走ったりできない少女のことをどう感じていたでしょうか。

自分と違うかわいそうな子、と感じていたかもしれません。

私は、そういった認識が間違っているということを、できれば早い時期に、体験を通して学んでほしいと願っています。


少女はぺんぎん村水泳教室の生徒ですが、体育の授業は見学の指示が出ているとのこと。


私がサポートに入る条件で許可をもらいました。


少女が一人でプールに入ると、クラスの子供たちは大丈夫かな…といった表情でした。

手を離し、フワッと体を浮かせた少女が、両手と体幹を活かしスイスイと泳ぎ始めると、見ていた子供たちの目がみるみる輝き始めました。


クロールのサイド呼吸も難なくこなし、ゴールを決めると一斉に拍手と歓声が上がったのです。

少女が認められた瞬間です。少女も自信に満ちた顔に変わっていました。


少女には、自分の可能性に挑戦し続けてほしいと思っています。

その頑張りが、自分のためだけにとどまらず、周りの人に勇気と希望を与えることになる、と使命を感じてくれたら素敵なことだと思います。